いきみち
祖父母の家まで歩く。前の日にすっかりそう決めていたが、出たのはもう昼過ぎだった。雨は昨日まで一週間降り続いたが、今朝は曇るばかりで降る様子はない。いざ、と家から出てゆるやかな坂を上る。すぐに高校の前までついた。校門の辺りで三人の若者が野球着のまま各々の自転車にまたがってしきりに校内を注目している。遅いぞ、早く、という会話だからもう一人くらいを待っているのだろう。過ぎるとすぐに四人に追い越された。沿った家々から、濃すぎる緑が突出していた。初夏。坂を越えて下りに差し掛かった辺りで、じっとりと汗ばんで来た。
すれ違うのは老人か、準老人といってよい年代の人間ばかりである。10メートルほど手前から会釈をすると、ほぼ返ってきた。返さなかったのは、こちらと目線を合わせなかった人たちだった。よほど遠い距離から眼を伏せる仕草を見せていたので、ニアミスの際にもさほど期待はしていなかった。それも、良し。5,6人ほどを経て、大通りの角を曲がり、弁当屋に差し掛かった。実は出立のときすでに弁当を買っていこうと腹を決めていたのである。ぼんやりとトンカツ弁当でも食べようと店に入ると、健やかにいらっしゃいませと、若い女性の声がした。容姿はそれなりだったが、なにぶん声がキレイなので、3割は美人に見えた。ただいま幕の内弁当が数量限定発売となっておりますのでぜひ。と健やかに響いた声を無下にはできず、それをひとつ。ありがとうございました。
店から出ると向かいの道に注意を惹かれた。中学校に続く道である。向かう先とは逆なので、わざわざ遠回りする気は起こらなかった。元の行程のみで郷愁を慰めようと決めた。祖父母の家から通っていたのである。通学路は二通りあった。大通りをカクカクに小気味良く行く道か、曲がり砂利、風情の道の二つ。後者を選んだ。再び歩き始めるとすぐに右の肩がコクコク鳴り始めた。右に荷を持つ癖があるためだ。右に対しては、幼いころひじを折り、近年手首も折ったのでいよいよ愛着を失っていた。弁当は果たして右の手に下がっている。左に変えて、肩を軸に右を回す。回すまわす。逆回転で、まわす回す。回していたら、右手の方角に細い上りが伸びた地点に出ていた。考えた。確か、おそらくたぶん右に曲がったはず、である。ひっかかりを覚えつつ、がに股のまま上った。住宅が乱雑に、多く建っていた。途中《入居者“依外”の利用を認めません》の文句などに笑わされ惑わされ、やはり道に迷った。ここからいけないか、この先はどうか、と、最善は撤退であると承知の上で、悪あがきをした。悪あがきをしているところをさる準老婆に見られたのでバツが悪かったが、おそらく弁当の存在により不審者の汚名は免れたに違いない。およそ犯罪者は弁当を持たないというコモン・センスが成立しているためだ。そそくさと引き返した。
もうそろそろというところであっ、とした。いつか行こう寄ろうと通るたびに思う、そんな場所である、古い神社の前に着いた。目的のない一人歩きという最高の条件なのに、足は止まらなかった。縁が無いのではなく、あまり己を信頼していないのかもしれない。歩くスピードと同じに後ろに流れ行く神社は、若気が立ち昇るほど濃い新緑の木々に守られていた。さようなら。
30分の道のりを経て、木造の家に着いた。おじゃまします、といっても聞こえないからさっさと中に入った。縁側で純老婆が日に当たっていた。包みをちらりと見て弁当かと聞かれたので弁当だと答えた。すると立ち上がって、お茶を入れてくれた。もう一人は風呂だ、と彼女は言った。歩いてきたことを話すと、自転車を直していないのだろう、と指摘された。コクコクと、右肩が鳴った。でしゃばりというものだ。